まもなくクライマックスを迎える全仏オープン。男子シングルスの優勝者が掲げる のは、14キロの銀でつくられた名高きトロフィー「ムスケティアー ズ・カップ」です。 このトロフィーを手がけたのは、1613年創業の〈メレリオ〉。現在 も家族経営を続ける、唯一の独立系老舗ジュエラーです。 華やかなジュエリーで知られるメレリオですが、その原点は金銀細 工にあります。およそ3世紀にわたり、数々の貴重な作品を手がけ てきたのち、20世紀に入ってからは「シビル・ゴールドスミッシン グ(民間向けの金銀細工)」に特化。フランス学士院会員に授与さ れる剣やスポーツトロフィーの制作においても、その卓越した技を 発揮してきました。 代表的な作品には、1956年に初めて制作されたバロンドールのトロ フィー、そして1981年に現在のデザインを手がけたムスケティアー ズ・カップが挙げられます。
1981年、フランステニス連盟(FFT)の会長フィリップ・シャ トリエは、男子シングルス優勝者に授与されるトロフィーの刷 新に向け、ジュエリーメゾン各社にデザインを公募しました。 新たなトロフィーに求められたのは、フランステニスの黄金時 代を築いた4人の名選手――ジャック・ブルニョン、ジャン・ ボロトラ、アンリ・コシェ、ルネ・ラコステ――の功績 を象徴する存在であること。 選ばれたのは、メレリオのデザイン。大ぶりの鉢には、ブドウ の葉のフリーズ(帯状装飾)がめぐり、白鳥をかたどった2つ のハンドルが優雅なバランスを添えています。 オリジナルのカップは、決勝当日のわずかな時間のみ、フラン ステニス連盟本部を離れて会場に運ばれます。優勝者が手にす るのは、それよりやや小ぶりの、精巧に再現されたレプリカで す。
このレプリカトロフィーの制作には、毎年100時間以上が費や されます。アトリエでは、複数の熟練職人が工程ごとに交代し ながら、 1か月をかけて 1枚の銀板を芸術品へと仕上げていきま す。 銀細工師が銀板を切り出し、エキゾチックウッドの芯(マンド レル)を使ってフォルムを成形。鋳造師が、溶かした金属を型 に流し込み、白鳥型の取っ手やブドウの葉のフリーズを成形し ます。彫金師はそれらに細やかな輪郭と陰影を与え、すべての パーツを銀細工師が丁寧に組み上げていきます。 最終工程では、研磨師がトロフィー全体を磨き上げ、最後に彫 刻師がその年の開催年を台座に刻み、完成となります。 こうして仕上がるトロフィーは、高さ21センチ、幅19センチ、 重さはおよそ14キロ。数々の手を経て生まれるその輝きには、 技と歴史、そして栄光が宿っています。